宮澤賢治『産湯の井戸』

〜今週はプラザイン水沢より〜

宮澤賢治『産湯の井戸』をご紹介したいと思います。

場所は「プラザイン水沢」から車で約50分くらい、花巻市鍛治町にございます
「株式会社 宮澤商店様」で見学できます。



宮澤賢治の母イチの実家(賢治誕生の家) 
資料によりますと、宮澤賢治は明治29年(1896年)8月27日稗貫郡花巻
川口町大字里川口(現花巻市豊沢町)で生まれたことになっています。しかし実際
は、母イチの実家、ここ鍛治町の宮澤善治家(宮善、現在宮澤商店)で誕生したの
でした。それは当時は産院がなく、長子は母親の実家に戻って出産するのが常で
あったのです。
賢治の母方の祖父善治は、温厚篤実の人。意志強く聡明で、勤勉、努力家でした。
砂糖、小麦粉、雑貨、荒物、灯油などや当時専売品であったタバコ・塩を扱い
質素倹約、商売熱心で両親や子供たちなど家中相和し、力を合わせて仕事に励み
繁盛いたしました。
イチはその長女で、父善治や母サメのすぐれた気質をそっくり受けついだ慈悲ぶかく
上品であり、また、明るいユーモアをもち笑顔を絶やさぬ人としても伝えられ
「日本の母」と評する人もいる程でした。
第二次大戦中の昭和20年8月10日、花巻は空襲を受けましたが、幸いにも
当宮澤家は戦災を免れました。当時の建物や蔵、井戸、池などが今も残っており、
賢治が生活した明治・大正・昭和初期の風情が感じられます。




 
賢治『産湯の井戸』
資料によりますと、ここ鍛治町地区は、豊沢川の伏流水が地下水脈を形成している
ものとみられ、水量の豊富な井戸が各家にありました。この井戸は、母イチが
宮澤賢治を出産する前から使用されていたものです。賢治誕生の当日、母イチは
午前4時ごろ陣痛、7時出産と伝えられ、祖父善治にとっては初孫である賢治の
出産で、宮澤家では、この井戸から水を汲み上げ、産湯を沸かして準備するなど、
さぞあわただしかったことでしょう。
賢治の生まれた8月27日の5日後の31日午前5時、真昼岳(岩手・秋田県境)
震源とする「陸羽大地震」(マグニチュード 7.2)が起きました。
この時、父政次郎は商用で不在。初孫を心配して、波のようにゆれる地面をふみ
しめながら鍛治町までたどりついた父方の祖母キンが見たのは、20歳の母イチが、
生まれたばかりの賢治をかばうために、のりかかるように上体をあおって、一心に
お念仏をとなえている姿であったと伝えられています。
(堀尾清史著 『年譜 宮澤賢治伝』参照)





建物の奥にある池も見学させていただきました。

 
※注:「産湯の井戸」は宮澤家様のご協力を得て見学できるそうで、
    今年の公開期間:2010年8月2日〜8月27日で終了なそうです。