多聞寺

プラザイン水沢より

源義経に縁のあるお寺、多聞寺に行ってきました。
案内板によると「悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経
兄の源頼朝に追われ、文治5年4月、平泉の高館において31歳を
一期として自刃したが、短くも華麗だったその生涯を想い
義経は、その一年前にひそかに平泉を脱し、北をめざして旅に
出た”という伝説を作り上げたのである。世にいう「判官びいき
であろう。その伝説の1つに、”平泉を脱出した義経主従は、その
途中にこの多聞寺に投宿し、その謝礼として鈴木三郎重家の「笈」を置いて去った”と伝えられています。
この多聞寺は、明治5年の火災ですべてが灰になった為、今はその「笈」も見るすべもないが、広い境内には「弁慶の腰掛の松」と名付けられた老松などもあったといわれています。